鉄馬舎

鉄馬舎スプリンガー
誕生秘話

鉄馬舎スプリンガー

1997年ハーレーダビッドソン社からヘリテイジスプリンガーが誕生しました。
その特徴はフォーク部分がスプリングになっている事で通称【スプリンガー】として親しまれてきました。
しかし残念ながら2003年モデルを最後に生産が終了。今回オートバイ界の巨匠、俳優岩城滉一氏と共に理想とアイデアを突き詰め、
【鉄馬舎スプリンガー】として復活誕生したオートバイです。

岩城滉一さんとの出会い

人生最後のオートバイ

岩城さんとの出会いは、2017年の5月のこと。まさに “裸の付き合い” から始まった―
鉄馬舎会員のAさんと岩城滉一さんがツーリング仲間で、「性格がよく似ているふたりを引き合わせてみたい」そんなAさんの粋な計らいがきっかけだった。
「岩城さんと初めてお会いした日、一緒に温泉に浸かって2時間、その後も夜通しバイクの話で盛り上がりました。俳優として活躍されている姿はテレビなどで拝見していましたが、岩城さんのバイクにかける情熱がここまでとは…。正直、驚きました」と当時を振り返る。
「カッコいいバイクをカッコよく乗ろうぜ」と熱く語る岩城さんの思いに共鳴し、「この人のバイクをつくってみたい」と純粋に思ったという。

翌週、岩城さんの自宅に招かれた嵯峨崎オーナー。
彼がつくったバイクを間近で見て、ふたたび驚かされた。「塗装といい、デザインといい、今まで見たことのないレベルの高さに愕然としました。それと同時に、自分が今までやってきたことが全国レベル(東京?)で通用するかチャレンジしてみたい、とも思いましたね。」
もともと負けず嫌いな性分。熱意と根性は誰にも負けない自信があることを岩城さんに伝えると、「じゃあ、やってくれ」とひと言。
これまでいろいろなオートバイをつくってきた岩城さん。これが人生最後のオートバイになるかもしれないという。そんな貴重なオートバイを共創できるのは、名誉なことに他ならない。

製作から完成まで

純粋な MADE in 鉄馬舎
への挑戦

こだわったのは、純粋な “ MADE in 鉄馬舎 ” であること。
「寄せ集めは一切したくない。鉄馬舎メンバーだけで創り上げたいと思いました」と意気込む嵯峨崎オーナー。これまで経験したことがないレベルの高い挑戦に、工場長をはじめ職人たちは戸惑いを隠せなかった。
しかし、ふたりの本気に触れるたび、戸惑いはモチベーションへと変化していったのだ。それからは毎月のように、鉄馬舎と岩城さんの自宅を互いに行ったり来たりしながら、イメージをシェアすることに時間を費やした。
「岩城さんはイメージしか仰いません。彼の頭の中でイメージしたものを私の頭の中でイメージする。目に見えないものを形にするのは、極めて難しいプロセスです。だからこそ直接お会いして、納得のいくまで打ち合わせを重ねました。」

特にこだわったのは、ハンドルとタンクだ。
オートバイの乗り味が決まる、ハンドル。試作品を20本近くつくった。既製品は一切使わないオリジナルのハンドル。脇の下が直角になる設計で、構えた姿が背筋がピンと伸びて美しく見えるようにこだわった。形状をコンパクトにすることで、軽量化にも成功した。

スプリンガーの特徴でもあるスプリンガーフォーク。すでにメーカーでは絶版車両の為部品は無い。そこで岩城さんからのアドバイス「無いものは創れ」。取引メーカーに製先依頼をして当社が監修しテスト走行を繰り返して3年、鉄馬舎オリジナルスプリンガーフォークの誕生。さらにサドルバック、シート、フェンダー類まで忠実に再生オリジナル以上のクオリティーを追求。全てがオーダーパーツ。色、デザインが選択が可能。世界に一台のオートバイの誕生。

もっとも苦労したのは、タンク。
タンクの形状でオートバイの印象は良くも悪くもがらりと変わってしまう。岩城さんのイメージは、エレガント。あくまで美的感覚で、正解がないだけに難しかったようだ。
「コーラの瓶のくびれは、女性の体のくびれをイメージして作られた、そういうことだ」という岩城さん。鉄馬舎スプリンガーのタンクも、「このくびれ」をイメージしてつくった。まずは頭の中のイメージをもとにつくり、それをベースに岩城さんとすり合わせをしながら手を加えていく。5回以上のバージョンアップを重ねて、ようやく完成に漕ぎ着けた。
「これだよこれ、俺の求めていたバイクは。お前よくやったな」と最高の誉め言葉をもらった。

鉄馬舎スプリンガーのこれから

“ほんもの”を求めて
終わらない追求

池田温泉で語り明かしたあの夜から約8ヶ月―
互いのアイデアや知見を共有し、試行錯誤を繰り返しながら、ようやく理想の鉄馬舎スプリンガー誕生した。
しかし、これはストーリーの序章に過ぎない。岩城さんの「こんなにいいオートバイができたんだから、みんなに乗ってもらいたい」という思いから、今度は商品化に向けたプロジェクトが始動。彼からのミッションは、コストダウン。できるだけ多くの人に乗ってほしいからと、「300万円でつくれないか」という難題だった。
「正直、無茶ぶりでした」と苦笑する嵯峨崎オーナー。しかし、ハードルの高い難題だからこそ、持ち前の負けず嫌いが発揮される。「ないものはつくればいい」これまで培った経験やスキル、ネットワークを駆使して、300万円というミッションを見事クリアした。

「カスタムは終わらない。絶えず新しいものを取り入れる」のが岩城さんのスタイル。彼の鉄馬舎スプリンガーについても、すでに次のバージョンアップを考えているという。しかし、具体的なオーダーはなく、「やりたいことはわかっているよね」とだけ。
宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」という作品の中に、「永久の未完成これ完成である」というフレーズがある。ものづくりの “ほんもの” に、終わりや答えはない。
“ほんもの” を追い求めるふたりにとって、鉄馬舎スプリンガーのカスタムは永遠に続くのだろう。

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